『いだてん』のキーマン、日本人の五輪出場に尽力した男は、冬山のような人物だった?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第57回 ~嘉納治五郎~
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
今年の大河ドラマ、「いだてん~東京オリムピック噺~」が現在好評放送中。ドラマでは日本で初めてオリンピックに出場した金栗四三(かなくりしそう)と、1964年の東京オリンピックを実現させた田畑政治(たばたまさじ)について取り上げている。
今回は、このドラマのキーマンであり、日本人のオリンピック初出場に尽力した、嘉納治五郎(かのうじごろう)を四柱推命鑑定する。鑑定の結果、なかなかクセがあるが、憎めない性格であることが明らかになった。
嘉納 治五郎(1860‐1938)
生年月日: 1860年12月10日(万延元年10月28日)
それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。
・日柱の干支:「戊子」(つちのえね)
この場所は、治五郎が果たすべき、自然界の役割を表す。「戊(つちのえ)」は山、「子(ね)」は季節の冬を意味することから、「戊子」を持っていた治五郎は、冬の山のような人物だったと言える。冬の山というと、寒く雪が深いのでほとんど人が訪れない。来るとしてもスキー客や雪山登りを楽しみに来る限定的なお客さんだろう。しかし、スキーも雪山も楽しめるのは冬のみ。お客さんの冬の山に掛ける思いは強かろう。治五郎は特定の人物に強烈に愛され慕われる…そんな人物だったのだろうか。また、山はどっしり構えて動かない。山の木が折れようが、地震が起きようが、山は常にそこにある。治五郎もそのように一度決めたことを頑固に信念を持ってやり通す性格だったのだろう。
大河ドラマでは、IOC(国際オリンピック委員会)委員のイメージが強い治五郎であるが、治五郎は講道館柔道の創始者で、「柔道の父」と言われている。明治維新を皮切りに欧米化が進む中、治五郎はあえてその流れに逆らい、日本古来からある柔術を学び、柔道としてスポーツ化することに成功している。時代と逆境しながらも、日本人の精神、日本人の在り方について追及し続けた人物と言えるだろう。当時は、理解者は少なかったようであるが、周りの意見はものともせず信念を貫く姿勢、まさに冬の山のようだ。
※律音(りっちん)を持っている!
治五郎は日柱と月柱のいずれにも「戊子」を持っている。このように、命式の中に同じ干支を持っていることを「律音(りっちん)」という。律音は人一倍エネルギーが強く、一つのことを貫くスペシャリストタイプである。治五郎は生まれつき身体が弱かったようだが、信じられないほどの力を発揮した裏側には、律音の影響があるかもしれない。